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いじめ...
1月4日 【いじめ】
いじめから友だちを守る会を紹介します。(東京新聞1月3日朝刊)子供たちのいじめは陰湿になって社会の状況を反映しているかのようである。いじめて、そしていじめられる、そんな形で問題は深刻である。そんな中、子供たちが中心の対策組織がある。傍観者にならないその姿から我々に警鐘を鳴らしていると思った。
12月19日 【いじめ】
学校での「いじめ」があいかわらず多いと聞く。どのように指導しているのだろうか。「いじめる側」「いじめられる側」の家庭環境や生活態度について社会全体で踏み込んで応援する対策をとることが必要だと思います。大人社会の「いじめ」と違うのは、子供達のガラスのように繊細で純粋な心をどのように守ってあげられるか、ということです。「いじめる側」を実名で非難して指導しようとしても反発するであろうし、愛情をかけて早急に手当てしていこうではありませんか。いじめることが、どんなに人間として、やってはいけないことかという議論を家庭でも、学校でも話し合うことがもっと必要だと思います。両親が不仲であったり、仕事が忙しいので子供と接する時間が取れないような場合、子供はとても寂しく感じています。又、学校の先生のちょっとした一言が、幼い子供の感性を傷つけることもあります。いずれの場合も子供たちはその接し方に愛情があるか、ないかというシビアな部分で感じ取る能力がすごいと思うんです。愛情のある接し方で、優しく、家庭で学校で、そして社会で子供達が落ち着いて、その存在感を認め合える癒される環境を作ってあげることが子供達の求めている形だと思います。
10月31日 【五木寛之】
「青春の門」「さらばモスクワ愚連隊」等で有名な、作家の五木寛之さんの岡山県での講演で聞いた話しを紹介します。五木さんは「暗愁」ということばを使っていましたが、今はほとんど死語になっているそうです。「暗愁」というのは、心が暗くなるなるような悲しい物思い、と広辞苑に書かれています。さて、五木さんがが言うには「暗愁」という言葉は、第二次大戦前までは、日常使われていたといいます。その意味として「かなしいじゃないか」「さみしいじゃないか」と、仲間同士での会話の中で使われていたといっていました。近頃では、仲間が悩んでいると「元気だそうよ」とか、「何をやってるの、だらしない」とか、相手の悩みに直接関わろうとする気持ちが薄らいできたといいます。相手の悩みや悲しみを「一緒になって悲しんだり、愁(うれ)う」気持ちがなくなってきているそうです。暗愁の気持ちがあれば、「そうか、おまえはそういうふうに悩んでいるのか」「一緒に悲しもうじゃないか」「一緒に考えて愁おうではないか」となるそうです。それがひいては、みんなで国を愁うことや、社会問題についても同じ立場になって、考え合う気持ちに、お互いがそれぞれの問題に対して、気持ちを高め合っていったと言っています。人間の喜怒哀楽を素直に認め合い、弱い者の立場に立って、助け合うことが失われてきていると心配していました。いじめを無くし、人を認め合う、一緒に助け合う気持ちが、まさに今、求められていると感じました。
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